沖縄県生協連と日本生協連は、沖縄戦の実相と現在の沖縄が抱える基地問題を学び平和について考える機会として、毎年沖縄で、戦跡・基地をめぐる活動に取り組んでいます。
このウェブサイトでは、ピースアクションinオキナワに関する情報をご案内します。現地に足を運ぶことが出来ない方も、ご自宅から沖縄について学べる学習会映像など掲載予定です。
右:波平 元維(なみひらもとしげ)さん
(ハンタガーヌ旗振やーすぐりむん)
左:南 信乃介さん
(特定非営利活動法人1万人井戸端会議 代表理事 那覇市繁多川公民館 館長)
14:00-14:10 |
開会 開会のあいさつ、連絡 |
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14:10-15:10 |
学習講演 「沖縄戦・在沖米軍基地から平和について考える ーフィールドワークに行く前に考えたいことー」 講師:山口剛史さん (琉球大学 教育学部 副学部長) |
15:10-15:20 |
質疑 |
15:20-15:30 |
休憩 |
15:30-16:30 |
戦争体験を聞く 「那覇市繁多川の住民が見た沖縄戦」 お話: 波平元維さん 南信乃介さん(繁多川公民館館長) |
16:30-16:55 |
報告 「大学生からの報告」 報告者:吉村珠李さん(大学生協連 Peace Now! Okinawa実行委員) |
16:55-17:05 |
休憩 |
17:05-17:40 |
参加者交流会 |
17:40-17:45 |
事務局連絡 |
17:45-18:30 |
チェックイン |
18:30 |
夕食懇親会 琉球舞踊・カチャーシー等、沖縄の文化と伝統を楽しみながら交流します。 |
20:00 |
終了 |
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右:波平 元維(なみひらもとしげ)さん
(ハンタガーヌ旗振やーすぐりむん)
左:南 信乃介さん
(特定非営利活動法人1万人井戸端会議 代表理事 那覇市繁多川公民館 館長)
魂魄の塔
沖縄戦の終わりごろ、米軍の砲火に追われて、多くの人々が米須一帯に追い込まれました。沖縄戦が終わったとき、このあたり一面にたくさんの死体が折り重なっていました。1946年2月村長と住民が一緒になり、遺骨を集め、納骨所を作りました。素朴な石灰岩に「魂魄」という文字だけが刻まれたこの塔には、住民、軍人など、3万5千余りの遺骨が納められました。
辺野古(テント村)
1995年の沖縄米兵少女暴行事件を契機に、沖縄の米軍基地に反対する運動や普天間基地の返還要求運動が起こり、1997年には名護市辺野古付近への移設案が決まりました。その後、辺野古の海の埋め立てに対し反対の声が上がり、20年以上たった今もまだ普天間基地はそのままです。現在も県外移設を求める県民の間で激しい議論が交わされています。一人ひとりがこの基地問題を、沖縄だけのことではなく自分のこととして考えることが大切です。
ひめゆりの塔・ひめゆり平和祈念資料館
沖縄戦当時、沖縄には21の男女中等学校があり、すべて戦場に動員されました。女子は看護活動にあたり、そのうち沖縄師範学校女子部と沖縄県立第一高等女子学校が、ひめゆり学徒隊として222人の生徒と18人の教師合計240人が南風原の沖縄陸軍病院に動員されました。5月25日南部へ撤退命令が出されました。現在「ひめゆりの塔」が建っているのは第三外科が撤退後入っていた壕の上です。1989年その隣地に「ひめゆり平和祈念資料館」が建てられました。